相方まると夏旅行と称して裏銀座縦走路を歩いてきた。
最後 槍は踏んでないけど、これが俺たちの裏銀座だ!
ルート、行程など
・前泊(8/24)
名古屋(14:20)〜信濃大町駅(17:00)〜南安タクシー本社(18:30)〜(タクシー)〜七倉山荘(20:00)
・1日目(8/25)
七倉山荘(6:00)〜(タクシーにて登山口へ)〜高瀬ダム(6:10)〜登山口(6:50)〜三角点(9:30)〜烏帽子小屋(幕営)(11:20)
・2日目(8/26)
烏帽子小屋(4:30)〜野口五郎小屋、野口五郎岳(7:30-8:00)〜真砂岳(8:30)〜東沢乗越(10:50)〜水晶小屋(11:40-12:20)〜ワリモ北分岐(12:50)〜鷲羽岳(14:00)〜三俣山荘(幕営)(15:30)
・3日目(8/27)
三俣山荘(4:40)〜三俣蓮華岳(5:45)〜中道稜線分岐(6:50)〜双六岳(7:15-7:25)〜双六小屋(8:15-8:50)〜弓折分岐(10:00)〜鏡平山荘(10:30-10:50)〜小秩父沢(11:40-12:10)〜わさび平小屋(13:00-13:20)〜新穂高温泉(14:30)
長野県で現地集合
僕は名古屋から車で出発、相方は東京から公共交通機関で長野大町駅に集合。
相方をピックアップし安曇野へ移動、南安タクシーにて車を預ける。高瀬ダムから入山するが、新穂高温泉下山予定なので回送サービスを予約した。料金は34,000円ほどで七倉山荘までのタクシー代も含まれている。
下山後は新穂高温泉(深山荘)にてキーを受け取り車を回収できる。
宿泊は七倉山荘にて。
個室で素泊まり8,000円/人ほど。
今回はブルジョワ旅なのだ。
七倉山荘に着いて早々に温泉を堪能してからビール飲んで速攻寝た。
入山!ブナ立尾根で烏帽子小屋へ
七倉山荘(6:00)〜(タクシーにて登山口へ)〜高瀬ダム(6:10)〜登山口(6:50)〜三角点(9:30)〜烏帽子小屋(幕営)(11:20)
登山口へ
タクシーの始発は、5時半頃から山荘前で数台待機しているようで、始発に乗りたい場合は前日にフロントで受付することができる。始発以降はピストンするタクシーを待つらしい。
僕たちは特に早出する必要がなかったので予約はせず、6時ごろに山荘を出たら丁度良いタイミングで空車がおり乗り込めた。
高瀬ダムにてタクシーを降りる。
まずはここから30分ほどかけて登山口まで歩いていく。
ダムの上を歩き、トンネルを抜け、不動沢吊り橋を渡り河原を歩いていく。
不動沢吊り橋を渡ったところにテン場がある。
最後に掛け橋を渡ると登山口がある。
向かって左の沢沿いに水場があるようだが宿から2Lの水を担いで来たためここでの補給は無し。
結局この日の水の消費量は1Lと少しだった。
ハイドレーションでちびちび補給していたため、ガブ飲みすることがなかったためかも知れない。翌日の縦走時も1Lほどしか消費せず、3日目はそれ以下だった。
ここから日本3大急登と呼ばれるブナ立尾根に入る。標高差は1,350mあるらしい。
3大急登について面白い考察記事を見つけたので載せておく。
それどころか日帰りのクライミングや沢ばかりでまともに歩いていなかった。
今年は国試受験生としてまとまった時間があまり取れなかった。その上に勉強ばかりで家に引きこもっているので体力はガタ落ちしている。相方も研修医生活が忙しく山には中々行けていない。
クソザココンビが急登はもちろん、裏銀座を歩き通せるのか不安なままスタートした。
ブナ立尾根は登山口(12番)から烏帽子小屋(0番)まで一定距離ごとに細かくナンバリングされた看板が設置してあるためペースメイクし易い。
中休み(6番)や三角点(3番)で小休止を挟みながら高度を上げていった。
2200m地点までは快調に飛ばしていた。
急登を覚悟していたからか思っていたほどきつい感じはなかった。しかしそこから顕著にペースダウンし、小屋まで残り1時間ほどで着くはずのところを倍近く掛かってしまった。
やはり高所を受け付けない身体のようだ。相方は高所に強い。いやはや、自分が弱すぎるだけなのかも知れないが。
休まず進みたい相方の冷たい視線を浴びながらもナメクジペースでひた歩く。
今回の旅の目標は「喧嘩をしない」に設定したのだが早くも険悪な雰囲気になっていた。
僕たちのパートナーシップはいつでも風前の灯火なのである。
烏帽子小屋に到着
そうこうしているうちに大勢の人で賑わう烏帽子小屋に無事到着した。
幕営受付後、テン場へ。
小屋からテン場までは丘をひとつ乗り越えるように数分歩く。
売店のアルコール飲料やスナック類のレパートリーは少なめ、小屋の規模も決して大きくなく硬派な印象を受けた。また、どの携帯キャリアも丘を少し上がって稜線に出ないと電波は入らない。
トイレはボットン便所、匂いは強くなく快適。
相方が入っているときに間違えて外からストッパーをかけてしまい、閉じ込められた相方にブチ切れられるというアクシデントがあった。
殺気立った視線に怯えながらも無視を決め込むとした。
触らぬ神に祟りなしである。
テン場でまさかの友人に出会った。
大学の夏合宿山行で来ていたらしい。
テン場で過ごす時間は長かったが、相方の腹の調子が悪く、山頂ピストンは取りやめ休息に当てた。前評判通り虫が多く鬱陶しかったがブヨやアブは少なかったため、さほど気にならなかった。
さっきまでプリプリ怒っていた相方は夕飯のカレーで機嫌を直し早くも寝息を立て始めた。空は夕方からガスりはじめ、夕景撮影は芳しくなさそうだったので酒もほどほどに夜がふける前に就寝した。
裏銀座の名峰を渡るロングトレイルで三俣山荘へ
烏帽子小屋(4:30)〜野口五郎小屋、野口五郎岳(7:30-8:00)〜真砂岳(8:30)〜東沢乗越(10:50)〜水晶小屋(11:40-12:20)〜ワリモ北分岐(12:50)〜鷲羽岳(14:00)〜三俣山荘(幕営)(15:30)
野口五郎岳を目指す
起床3時、朝食はアルファ米で済ませた。
外気温は4℃だったので前日のようなノーパンショーツスタイルでは局部が悲鳴をあげてしまう。マムートの夏パンツとパタゴのH2Noジャケットを重ねて出発した。
夏山といえどもほとんど9月。
秋山に足を半分突っ込んでいるため陽が上がる前のヘッデン行動は動いていても肌寒い。
太陽が上がるにつれて空は徐々に白けていき、同時に陽の温かみを感じた。
陽が完全に上がったところで、いつものノーパンティスタイルとなった。
振り返ると我らが大将軍・剱がどっしり構えてこちらを見ている気がする。
太陽に染められた烏帽子が美しい。
後ろ髪を引かれながらも野口五郎小屋へと歩を進めていく。
野口五郎小屋では前日に宴会があったようで、山岳救助隊の若手の隊員が2日酔いに愚痴を垂れて笑っていた。とても良い雰囲気だった。
明日で任期が終わり下山すると言っていた。
「事故は最終日に起こる」とも。
抜群に天候が良く北アルプス全域を望めるのではないのかと錯覚するほど。
右手に五郎池、左手に槍を見ながら水晶小屋へとつながる稜線を繋いでいく。
ここまでは快調だったが、だんだんとペースが落ちていく。
アホなのでパルスオキシメーターを忘れてサチュレーションなどデータは取れず。
小休止しながら歩いていくが、絶景が身体の辛さを吹っ飛ばしてくれる。
果てしなく遠い水晶小屋
やっとの想いで東沢乗越まできた。
予定より出発を早めることで得た時間の貯金もほぼ使い切ってしまった。
ここまで来れば、前方に水晶小屋を視界に捕えることができる。
見えたところで絶望しか残らないんだけど。
良く見ると写真の真ん中上の方に小屋が小さく写ってる。小さい。超小さい。
標高にも慣れてきたようで身体の調子は良い。
ガレザレな切れ落ちた崩壊地を左手に見ながら水晶小屋まで高度を上げていく。
水晶小屋で大休止
行動食をモリモリ食べて40分ほど休憩したが風の通り道なので身体が冷える。
ミートテックが自慢の相方も寒そうにしていた。
ここで地図を見ながら三俣山荘までのルートを相談した。
具体的には、CTは伸びるがワリモ岳経由で鷲羽のピークを踏み急登を下るのか、楽でCTの短い黒部源流ルートでピークを避け山荘まで向かうのか。
相方は嫌そうだったが、池フェチの僕が鷲羽池を見たがっているのを知ってか鷲羽経由のコース取りにしようと提案してくれたので言葉に甘えた。
まずはワリモ北分岐まで進む。
鷲羽岳へ最後の登り返し
不思議と二人共足取りは軽かった。
1箇所だけロープ通過があった。なぜここに?というような場所だったが過去に事故でもあったのだろうか。
あっという間に鷲羽岳のピークへたどり着いたが、そこには思い描いた展望など一切なかった。
『今から晴れるよ!』
その声は北アルプスの山々に虚しく吸い込まれ、やがて消えた。
僕たちは天気の子ではない。地図に書かれた「槍ヶ岳の姿が見事」という文字をただ怨めしく睨むことしか出来なかった。ピークから三俣山荘までの下りも、いやらしくザレた急坂のダブルパンチに2人して涙ちょちょ切れた。
三俣山荘のテン場で幕営
テン場は小屋から1分ほど歩いたところにある。
携帯の電波はどのキャリアも小屋、テン場共に入らない。
飲用可能な水場から流れる小川がテン場を2つに割っており、せせらぎが心地よく聞こえてくる。4テン、6テンなど大型テントが張れるスペースも十分にあり、とても快適だった。
トイレは小屋内のものを使用させてもらえる上に、まるでホテルかのような設備・清潔さ。売店はアルコール飲料、スナック共に種類が豊富でこども店長が相手をしてくれる。いつかは小屋泊して名物のジビエシチューを食べてみたい。
夕食ははや茹で3分パスタでサクッと済ませる。
パスタを平らげた後、相方は間髪入れずに朝食用のアルファ米まで平らげてシュラフに包まった。まるで理性のない動物のようだったが、山に入り雑念を捨て本能の赴くまま、あるべき姿に帰っていく感覚は悪くないなと思った。
僕は俗物なのでビールをしこたま飲んでから眠った。
三俣山荘から穏やかな稜線を繋いで双六岳へ
三俣山荘(4:40)〜三俣蓮華岳(5:45)〜中道稜線分岐(6:50)〜双六岳(7:15-7:25)〜双六小屋(8:15-8:50)〜弓折分岐(10:00)〜鏡平山荘(10:30-10:50)〜小秩父沢(11:40-12:10)〜わさび平小屋(13:00-13:20)〜新穂高温泉(14:30)
朝陽に包まれ山を渡る
この日も3時起床、4時半スタート予定だったが二人揃って寝坊した。
3時半に起床し、急いで用意して4時40分スタートした。
この日は午後から高曇りの予報で、朝は良く焼けた。
まずは三俣蓮華岳方面へとなだらかな道を歩いていく。
息を飲む美しさだった。鷲羽岳山頂では見れず仕舞いだった槍もくっきりと見える。
向こうの山頂でもこちらをみて同じことを考えている人たちが大勢いると思うと感慨深い。
三俣蓮華岳から稜線へ
三俣峠に着く頃には空も白けてきた。ここから少し登ると三俣蓮華岳の山頂へと出る。
何を言ってるが分からないと思うが、大マジなのである。
少なくとも明治時代まではそう呼ばれていた。
じゃあ後ろに見えている現鷲羽岳はなんと呼ばれていたかというと、東鷲羽岳もしくは龍池ヶ岳と呼ばれていた。
それが登山黎明期の明治時代に日本山岳会のおっさん達がこの山に上がった際に、案内人から聞いたエピソードを元に国に文句を言って現在の名前に変えさせたらしい。
鷲羽岳は『鷲が羽を広げたポーズだから鷲羽岳と呼ばれている』なんてのは嘘っぱちなのか?
ちなみに蓮華岳の蓮華とは、蓮華膽(肝臓)の略でこの山で獲った熊のキモ(蓮華)を食べていたことから蓮華喰いの岳と呼ばれていたことから。(諸説あり)
僕たちは現在の名前から山容を想像してしまうが、旧名に触れてみるとガラリとイメージが変わり面白い。
双六岳まで穏やかな稜線を歩いていく
先に見えるのが双六岳ピークではなく丸山という小ピーク。まんまと騙された。
この稜線はとにかく気持ち良く歩けた。
ここでテムレスがスマホ対応だった事実を知る事となった。
最後のピーク、双六岳に到着
双六岳の山頂は風が強く他の登山者たちは写真を撮ってそそくさと小屋方面へ行った。
翌日からは大荒れ予報だったが、
本日新穂高から入山して双六へ、このまま槍ヶ岳山荘まで行って幕営し、翌日は東鎌尾根から常念山脈方面に抜けたいと話すお兄さんは無事抜けれたのだろうか..
長い下山が始まる
ここから先は単調な下り。
初日や2日目は自分たち以外に誰もいない状態で歩くことが多かったが、さすがに裏銀座も双六小屋周辺まで来ると大勢の人で賑わっていた。
3泊になることも想定して食料計画を立てていたため、十分に食料は余っていたが、鏡平の名物かき氷や、わさび平の冷やし野菜などご褒美グルメを堪能しながら新穂高温泉へと下山した。
沢に行けば沢が好きになる。冬の山に行くと冬の山が好きになる。岩場に行けば岩場が好きなる。夏山の縦走の楽しさなんてすっかり忘れてしまっていたが、山が思い出させてくれた。
これからも、来て良かったと思える山旅を続けていきたい。