3月の長期休暇を使ってマレーシアのキナバル山へ登ってきた。
キナバル山とは
キナバル山(キナバルさん、マレー語: Gunung Kinabalu, 英: Mt.Kinabalu)は、ボルネオ島北部、マレーシア領のサバ州にある山である。標高 4,095.2mはマレーシアの最高峰である。
キナバルとは、マレー語でキナは中国、バルは未亡人の意味。キナバル山付近には、中国の王子とその未亡人の伝説も残っている。広東の漁師兄弟が台風で遭難、当地に漂着し、現地妻を娶った後、兄がホームシックで北上航海に出たが その後音信が途絶え、現地に残された妻がこの山にのぼってマレーへ帰る船影をさがしたという伝説も伝わる。実際にはカダザン語のアキ・ナバル(祖先の霊る山)がなまってキナバルになったという説が有力である。
1851年、プラントハンターのヒュー・ローによって初登頂を果たされる。ヒュー・ローは76種の新種の植物を採取した。世界でも有数の生物多様性に富み、6000種以上の植物と100種以上の哺乳類が確認されている。山頂には、花崗岩による独特の岩場が広がっている。また山の麓は、熱帯雨林特有のジャングルとなっている。熱帯雨林から高山帯までの特異な動植物が数多く存在している。山麓のジャングルでは、世界最大の花とも言われるラフレシア、食虫植物として有名なウツボカズラが原生している。
地質は、1千万年前に溶岩が固まって現在のキナバル山が造られた。溶岩は花崗閃緑岩で、地下深部から超塩基性岩や堆積岩を貫いて上昇した。上昇に伴い山体が大きく変形した。中腹に蛇紋岩が存在する。1万年前までの氷河期には山頂付近に氷河が存在し、花崗閃緑岩を削り滑らかな岩肌にしたと考えられる。山は現在でも1年に5㎜隆起している。
登山はコタ・キナバル発で、3,300m付近の山小屋に1泊。翌日早朝に登頂してご来光を拝み、その日の内に下山する1泊2日の登山ツアーが一般的である。登山に当たり高度は高いが技術的に難しい所は無い。2004年現在、入山届提出、入山料の支払いおよびガイドの随行が義務化されている。また、下山時に公園事務所で登頂認定書を有料で発行してもらうことができる。(wikipediaより)
スケジュールなど
3/18(月)
成田からコタキナバルへ。コタキナバルで宿泊。
3/19(火)
早朝にコタキナバルから登山口へ移動。ラバンラタレストハウス(3300m)まで登り山小屋泊。
3/20(水)
夜中にピークハント、その後一気に登山口まで下山し、昼食後に空港へ。
コタキナバルからクアラルンプールへ飛び、トランジット。夜中の便で成田へ。
3/21(木)
朝7時、成田着。
今回はまるとの二人旅。
相方との日程の兼ね合いで無理くり3日間に収めた鬼畜強行プランでの実行となった。
成田空港に7時半着、9時半の便でコタキナバルへと飛ぶ。
成田空港からコタキナバルへ
帰りはクアラルンプールでのトランジットがあるが行きはコタキナバルへの直行便だった。機内食は淡白な料理で筋トレマンにとっては嬉しいような悲しいような。
コタキナバルへは15時着。宿泊はコタキナバル郊外の大型ショッピングモールの1 Borneo(ワンボルネオ)に併設されているTUNE HOTEL(チューン)ホテル。
ホテル周辺を散策
ホテルからモールへと直接連結されているので生活はしやすい。
都市部の観光メインだと少々不便かもしれない。荷物を整理したらモールを散歩がてら軽食を取る。思っていたより時間に余裕があり、食べたり飲んだりゆっくりしたり、また散歩したりして1日目は過ぎていった。端的にいうと暇だった。
アプローチシューズを導入
そういえば今回の登山からアプローチシューズを導入した。
スポルティバのTX4が上の写真に写り込んでいる。コイツがTX4。高価なゴアの方ではなく皮の安い方だ。
元はと言えば、昨年夏の穂高縦走の際に共に歩いたベテランの方からオススメされたシューズで、スラビーな斜面でも張り付くグリップ番長とのことだった。
当時の記事はこちら。
TX2も気になっており実際に店舗で履き比べたが、TX2はソールにもアッパーにも剛性がなく不安になった。販売員もTX2の方はアプローチというよりはライフスタイルですね、とのことでTX4購入に至った。TX4の中にはゴアテックスをアッパーに使用している少し高価なモデルもあったが皮モデルを購入した。実際にキナバル山の下りで熱帯地方特有のスコールにやられ、シャワーを浴びている状態になったり、深い水たまりに突っ込むこともあったが浸水してくることはなかった。やるじゃん。
旅行中は山も街もずっと履いていた。
登山開始。ベースとなるPendant hut まで標高を上げる
コタキナバル(7:oo)〜Kinabalu Park Head Quarter (8:30)〜Timpohon gate (9:10)〜Laban Rata rest house (15:40)〜Pendant hut (16:00)(宿泊)
2日目は6時前に起床。ロビーでビュッフェ形式の朝食を摂った。
ビリヤニがどういうものか良く分かっていないが毎日ビリヤニっぽいものを食べていた気がする。マレーシアは料理が美味い。
ホテルからはタクシーに乗る。イニD並みの暴力運転で峠を飛ばしていくからマジで怖くて3回くらいチビッた。
Kinabalu Park Head Quarter へ
ホテルからは車で2時間弱で公園本部(Kinabalu Park Head Quarter)に到着する。ここで入山に関する手続きをして名前の入ったIDカードをもらう。ガイドともここで顔合わせ。
Timpohon Gate(登山口)へ移動
受付後に登山口(Timpohon Gate)まで10分ほどバンで移動する。チンポポン。
ガイドのオッチャンが超気さく
キナバル山はガイドの随行が義務化されているため、ガイド登山の形式をとるが基本的には一緒に歩くだけ。あと死ぬほどリスがいる。人間よりもいっぱいいる。あいつらは食料を強奪するために普通に攀じ登ってくるので気をつけて。帰る頃にはリスに対する愛情なんてカケラもなくなる。
うちの相方が類稀なる撮影センスを用いて、リスを追いかけ回していたのでここに載せておきます。
うちのガイドは感じの良いヘビースモーカーなおっちゃんで、「Hey. Smoke time! haha」みたいな感じですぐにタバコ休憩したがる人だった。何なら登山道で歩きタバコもする。日本では考えられないような光景。普通に炎上案件やな。後輩らしき歩荷の少年達にもすぐちょっかい出す。人気者のオッチャンだった。
9時ごろゲート発。
登山道は休憩所やトイレが豊富!
休憩所では基本的にガイドに促されて休憩を取る感じだった。休憩所にはトイレとゴミ箱が必ず置いてある。トイレに関しては日本アルプスの山小屋のそれを想像してはいけない。つまり、そういうことです。
キナバル山はボルネオ島随一の観光地として力を入れられているだけあって整備も行き届いている。日本も北アルプスの一般道はかなり登りやすく整備されているがその比ではなかった。ほとんどハイキングに近い。とにかく単調な道を歩き続け高度を稼ぐ。
朝は良く晴れていたが昼前にはガスが出始めた。熱帯っぽい感じだ。
支給されたランチパックで昼休憩
12時半になってPark Head Quarterで受け取ったランチパックを食べる。カレー風味の唐揚げがうまかったが、リンゴは渋すぎて食えず。
高度障害について
初めて富士山に登った時に登山道でぶっ倒れて行動不能になった経験から、筋肉量も体重も人より多い自分は高所に弱いと良く分かっていた、がやはり辛い。
医学生だし、今後の海外高峰登山のために、高所が体に与える影響を数値化しようとパルスオキシメーターを持参した。ダイアモックスも処方されたが服用しなかったのは、まずクリーンな身体で高所の反応を見たかったから。パルスオキシメーターとは、メーターを指先に挟むと異なる波長の光線を出しプローブで受信。動脈血内のヘモグロビンの吸光度の違いを利用して血中の酸素飽和度(SpO2)を測ってくれる医療機器だ。地上では、いわゆる健康な人で95〜99%ほどが正常値、90%を下回るならば呼吸不全の可能性を疑い、精査治療のため医療介入する必要性がある。
実際の数値に関しては、時系列に後述していく。
休憩をこまめに挟み、騙し騙しなんとか歩き続けた。
森林限界を超える
キナバル山は熱帯の山なので森林限界が日本の山より高くだいたい3000m付近から景色が開け始めた。
宿泊地である Pendant hut に到着
倦怠感がマッハになりながらも3300m付近のLaban Rata rest house近辺に到着した。
時刻は15時半だったのでTimpohon gateから6時間弱ほど掛かったことになる。
2時間分は休憩だと思うが....
この宿泊地には、Laban Rata Rest Houseを中心に山肌に多くの小屋が建てられている。僕らの宿泊する小屋はPendant hutといって、本来はビアフェラータコースを利用する登山者のみが宿泊する「クライマーの小屋」のようなものだった。
Pendant hutにチェックインする。宿泊する部屋は指定されておらず早い者勝ちだった。2段ベッドが3個置かれた部屋をキープした。食事は5分ほど下ったところにあるLaban Rata rest houseの食堂でとる。
Laban Rata rest house で夕食ビュッフェ
深夜のサミットアタック開始を待つ
翌日は3時出発だったので早めにベッドに入った。
前述したように、もともと高所に弱い僕のSp02は80%を下回っており、トイレへいくだけで息が切れる程だった。
SpO2が70%を下回り続けると高山病を発症するというデータを示した文献を見つけたので機会があればその周辺の文献ごとまとめてみたいと思う。
この標高でここまで苦しいのに数時間後には標高4000mを越えることができるのだろうかという不安に包まれながらも、異国の地でこれから初めて経験することへ期待を心地よく感じながら目を瞑った。
後編はこちら。